知識と真理は次元が違う

幼い頃というのは誰であれ知らないことだらけでした。ただ知らないということに不安を感じることもありませんでした。

少し成長してくると、知らないということが実は不安を感じさせることに繋がることに気づくようになるのです。

過去の自分より、あるいは他人よりも知っているということで、安心を得ることができるのです。だから自我は知識が大好きなのです。

よく言えば知識欲とも言えますが、その本質は安心したいという防衛からやってくるものの方が大きいのではないかと思っています。

例えば、明日ある人と会って話しをする必要があるというときに、馴染みの人と会うのと初対面の人と会うのとでは、前者の方が安心なはずです。

それは相手のことを知っているからです。初対面の相手のことは知らないので、予想することが難しい分だけ不安になるわけです。

この知っているということが安心要素であり、あるいは有利に働くということから私たちにとっては知識が非常に大切なものと感じるのです。

けれども、その一方では本当に大切なもの、真理について知っていると思ったとしたらとても危うい状態になっていると理解しなければなりません。

なぜなら真理は自我にとっては決して理解することのできないものだからです。自我が消えた瞬間に真理が見えてくるとも言えるくらいだからです。

真理に目覚めるかどうかは別としても、知識を重宝し過ぎる生き方を一度見直して、不安があってもそのままでいるような生き方を試してみるといいかなと思いますね。