過去とのつながり

心を静かにして、個人としての自分というものへの興味を手放していくと、今まで自分が生きてきたこの人生の記憶が幻想であるように感じてきます。

記憶を呼び起こそうとすれば確かにいろいろなことを思い出すことはできるのですが、それが過去という時間の中で自分が現実として体験したことかどうかがとても曖昧な気がするのです。

つまり過去とのつながりが非常に希薄に感じられるということです。そういう意味では過去の出来事の記憶は、夕べみた夢の記憶とそう変わらないと感じるのです。

そうなってくると、過去の自分はこういう奴で、こういう特性があって、こんなことをやってきて、ということへのこだわりや、自分に対する既成概念のようなものを使わないで済むのです。

それは過去の自分と切り離された、過去の自分とは別の今の自分というイメージです。そのイメージの自分はとても自由な感じがして、何にも捉われることのない気持ちよさがあります。

だから未来の予測も過去の自分を土台としてイメージする必要がなくなります。すべては今の自分が心の中に抱いているイメージや観念だけで今の続きとしての未来の予測ができるのです。

それは自分が学生から大人になっていくときに持っていた自己イメージとは大分かけ離れた自分になっているようです。過去の自分は、ごくごく普通の典型的な日本人の男性という人物像でした。

それに対して、今この瞬間の自己像というのは言葉で表現すると誤解されてしまうかもしれませんが、「誰でもない」という感じがするのです。

別の表現をすると、明確なアイデンティティのない自分、何かふわっと存在しているだけの自分というような感じです。過去から遮断されると、そんな感じになるのかもしれません。

肉体に従属するのではなく、肉体を癒しの目的にうまく利用していく自分、そして最終的にはすべてを許し、肉体を必要としなくなる瞬間に向かって心の内に深く沈んでいくように思います。

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