実年齢

新聞やテレビのニュースなどで、人を紹介するときに必ずその人の年齢が出ますね。括弧で数字がくくられていたら、大抵は年齢を意味すると知っています。

また初めて会った人について、この人は大体何歳くらいなんだろうと無意識的に思う癖が付いているかもしれません。本来その人が何歳であろうが構わないはずなのに、すぐに年齢のことを考えます。

年齢を気にする理由は、いくつか考えられます。例えば、自分と比べて相手は年上なのか年下なのかとか、年齢が近いのか離れているのかとか。

それによって、相手に対する自分の態度を幾分変えて見たり、あるいは相手の自分への態度はこれで問題ないのか等をチェックすることもあるかもしれません。

つまり上下関係の厳しい文化では、自然と年齢を気にせざるを得ないという面があるのでしょうね。日本は、相手に失礼があってはいけないと思うことが強い文化かもしれません。

自分の言動に気をつけるという意味で相手の年齢を気にするだけならいいのですが、相手の態度を年齢から相応しいかどうかを判定しようとすると、さまざまな反応をしてしまうものです。

そして多くの場合は、その反応はネガティブなものであるといえます。例えば、幼い子供だからと思って接していたら、とても大人びた態度や言動をされたらあまりいい気持ちはしないものです。

自分と同じくらいの年齢だと思っている人から、上から目線の態度をとられたらこれもムカッとくるかもしれませんね。

逆に、自分よりも随分と年上だと思っている人から、子供じみた言動をされたら、これもまたやっぱり腹が立つかもしれません。

私たちはいつも歳相応ということを気にしているからです。しかし、実年齢と精神年齢は必ずしも一致しないということは経験から知っているはずなのですが、それを許すことができないのです。

物理的な年齢というものをとても重要視している証拠ですね。心を学ぶと、誰の心にも実年齢とは全く異なるさまざまな年齢の心の断片があることがハッキリ分かります。

実年齢と異なる自分の心を許していないので、相手のその心も許すことができないのです。こうしたことにも、許しのネタはあるということですね。

実年齢も心の年齢も実は本質的な我々の存在とは関係ないと分かる事です。なぜなら、ここでいう精神年齢とは、エゴの年齢のことだからです。愛の心には年齢はないのです。

それはなぜかというと、愛には成長するという概念が当てはまらないからです。愛は永遠に変化しない想念だからです。相手の奥にある愛だけを見つめたら、年齢などどうでもよくなるはずですね。

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