文句を言いたい自分 その2

昨日のつづきです。

誰の心の中にも文句を言いたいという部分があり、それは相手を否定することが本当の目的ではなく、自分の正しさを証明して自分をまもりたいがためだというお話しをしました。

「文句を言いたい自分」をはっきりと表現するかどうかとか、そうした自覚があるかどうかなどはその人の生まれ持った気質や育った環境などによって違いが出てきます。

文句を言うためには、文句を言うことが正当化されるような立場が必要となります。仮に自分の周りにいる人がみんな親切で愛に溢れているような人ばかりだったら、文句を言いたい自分には都合が悪いわけです。

従って、「文句を言いたい自分」にとって都合のいい状態とは、幸せよりも不幸、豊かで満ちたりるよりも貧困で不足、加害者よりは被害者の立場だったりするわけです。

つまり、自分の人生が思うようにいかない方が、それだけ「文句を言いたい自分」にとってはおあつらえ向きであるということです。

もしも、自分の心の中の比重として、「幸せになりたい自分」よりも「文句を言いたい自分」の方が大きければ、確実に不幸な人生になるということです。

「幸せになりたい自分」と「文句を言いたい自分」はちょうど真反対であるし、それらが心の葛藤を起こしているのです。

そしてここで投影のことを思い出してください。私たちは誰でも例外なく、自分の心の中にある望みどおりの人生を作る事ができるのです。

ですから、「文句を言いたい自分」が心の中の主導権を持っているとすれば、その心の部分に最も都合のいい、つまり文句を言い続けられるような現実ばかりがやってくるということになるのです。

皆さんは、自分の心を静かに見つめたときに、この「文句を言いたい自分」に気付くことはできますか?もしもそんなものはないと思うのでしたら、それはとてつもなく癒しが進んでいる場合か、あるいは抑圧が強くて自覚できない場合のどちらかです。

もしも自覚できるのでしたら、その自分はどんな望みを持っているのか、じっくり見つめてあげることです。そんな自分は情けないと否定してしまうのではなく、しっかりと正面から向き合うことです。

その上で、その自分を選択しないで生きることを決意することです。そうして、「幸せになりたい自分」を心の中で優勢にしてあげることです。

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