損をしたくない その2

昨日のつづきです。

人と関わることで何かと損をしてしまうと感じている人は、自分を守ろうとするあまりに自ら自己犠牲を強いてしまうということでした。

そうしたことに思い当たる人は、是非とも嫌われる恐れに立ち向かって自己表現をする訓練をする必要があるというお話しをしました。

そして今日は、損をするという感覚は一体どこからくるのかについて見て行きたいと思います。私たちは、昨日のブログの例のような場面以外にも、いくらでも損をしたと感じる体験がありますね。

一つは人と自分を比較することから発生します。いわゆる不平等さの感覚というものです。対等であると思っているのに、そこに平等ではないと感じたときに損をした感覚が生まれます。

おやつを兄弟みんなで分けるなどのときに、喧嘩がつきものなのもこの不平等だという感覚から来るものですね。

また、当然のこととして受け取ることを期待していたのに、それが叶わなかった場合にも損をしたと感じるものです。兄弟喧嘩の例もこの場合にも、どちらも期待との不一致がそこにあるわけです。

つまり、損をするという感覚は、期待したとおりに受け取ることができなかった場合に発生するということが言えるのです。

ですから元々期待してない場合には、損をするという体験をすることができないのです。そしてもう一つ、手に入れる、受け取る、という状況ではない場合にも損をするということはあり得ません。

こうして見てくると、与える側に立っている人は何があろうと損をしたという感覚になることはないということが分かります。

結局、損をしたくないという思いは、受け取る側にいる人の意識から発生するということが分かります。一生損をしたくないと思うのでしたら、与えることに専念することだということです。

与えるとは勿論物質的なことだけではなく、そこには愛を伴っている必要があります。その時に限り、人は損をするということから完全に開放されることができるのです。

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