天下り

1978年4月のことですから、今から33年も前になりますが、私は大学を卒業してある企業に就職しました。

東証一部上場のそこそこ立派な電機関係の会社でしたので、当時は退職するまで務め上げることになるのかなと思っていました。

しかし、30歳になる前にひょんなことから全く毛色の違う外資系のコンピューター会社に転職することになったのですが、退職する少し前に会社のえらい人に挨拶に行ったときのことです。

ある重役の人の部屋に入ると、そこにはよくテレビドラマなどでみる風景そのものがあったのです。それは、仕事の時間だというのに、その人は悪びれることもなくゴルフのパターの練習をしていたのです。

実はその方は会社の大切な取引先であった、電電公社(今のNTT)から天下ってきた人として社内でも有名な人でした。

勿論、私が辞めることなどには微塵も興味がなく、「今までお世話になりました」と挨拶しても、ああそうですかと言うだけでした。

その人の役目は、年に一回決まっただけの仕事をNTTから受注できればいいわけで、あとはずっとああしてパターをして一日を気ままに過ごすんだなと。

天下りとは利権そのものです。会社は、そういった取引先の偉い人を天下り先として引き受けることで、今までの取引をある程度は保障してもらえるとのもくろみがあるわけです。

逆にそうした天下りを断ったりしたら、今までの関係が壊れる可能性もあるために、内心では渋々天下りを受容するしかないということですね。

言ってみれば、天下った後のその人の高額な給料を、従業員全員の働きによってまかなっているようなものですから、なんだか理不尽な感じがするのもやむを得ません。

天下った先で、その会社のために一生懸命仕事をする人がいないとは言わないですが、大した仕事もせずに給料だけを貰っている場合が多いのではないでしょうか。

その時の自分は、天下りなどきっと関係のない外資の会社に行くことが決まっていたので、腹も立たなかったのですが、日本の社会の実情を垣間見た気がしました。

もしも、あなたがどこかの会社に天下って何もせずに給料をもらうことになったら、どんな感じがすると思いますか?

いい悪いは別として、各人の心の状態によって反応は様々なのでしょうね。私だったらいたたまれなくなって、すぐにみずから辞めてしまうと思います。きっと貧乏性なのですね。

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