我に帰る

何かものすごく大きな心配事に心を悩ませていたり、突発的なことが起きてそれに冷静に対処できずにパニックになってしまったりすることは誰でも経験しているはずです。

どちらの場合にも、必死になっている自分の姿や、心ここにあらずといった感じがあるものです。その後、いくらか落ち着いたときには、ふと我に帰るという現象が起きます。

中学生の時に、外出中にお腹が痛くなって早く帰宅してトイレに駆け込みたいのを必死に我慢して、もう少しだからと自分に言い聞かせながら足早に歩いていたことがありました。

たまたま家は留守で、鍵を持っていなかったので、家の裏にあるドアから入ろうと思ったのですが、そこにはダイアル式の鍵がかかっているのです。

その数字を合わせて鍵を開ければ入れるのに、パニックになっていたために、古くなっていた鍵を力いっぱい引きちぎって、つまり鍵を壊してドアを開けたことがあったのです。

トイレに駆け込んで、我に帰った後、突然なぜ鍵を壊すようなことをしてしまったのか、検討もつかずに、自分でしたこととは言え、びっくりしたのを覚えています。

ダイアルの数字を合わせれば開けられるという知識と、鍵の部分が古くなっているから力づくで壊せば開けられるという意識の二つがあったのは分かります。

ですが、通常でしたら当然わざわざ鍵を壊す方を選択するはずはないのですが、我を失っていたために、それを選んでしまったということだと思うのです。

どちらを選んでも開けられればその瞬間の問題を解決することはできるのですが、どちらが合理的かということを考える余裕がなかったということかもしれません。

我を失うと、そういうことが起こる確率が増えるということですね。だからこそ、人は我に帰ること、我に帰っている状態でいることが大切だということです。

常に我に戻っている状態でいるためには、自分をやさしく見守る習慣を付けることが有効です。今、自分は歩いている、今自分は歯を磨いている、などです。

簡単なことのように見えて、歯を磨きながら今歯を磨いているという見守る姿勢を忘れずにいることは意外と難しいのです。

ふと我に帰ると、何か別のことを思っていたり、明日の仕事のことなどを考えていたりしてしまうものです。我に帰るということをしなくていいために、常に「我にいる」ようにしたいものです。