絶望こそ自己探求の原動力

『絶望』という言葉を聴くと、自分はそんなものとは縁がないからと思っている人が大部分なのかもしれませんね。

あるいは中には、大人になってから一度以上人生に絶望した経験を持っている人もいるかも知れません。

しかし、幼い子供の頃に大人びた絶望を味わうなどということはきっとないはずと考えている人がほとんどだろうと思います。

けれども、本当は子供の頃ほど、実は絶望したことのある人が沢山いるはずなのです。なぜなら、子供は大人ほど選択肢を豊富に持ってはいないからです。

つまり、これが絶望的になったけど、でも私にはこちらの道が残っているので何とかできるというものがほとんどないということです。

その理由は、子供は周りにいる大人、そのほとんどは両親ということになりますが、親に否定されたり見捨てられたりしたら、到底生きてはいけないからです。

他の誰かを探そうにも、そんな人はいるわけもなく、結局生き延びる選択肢がないために否応なく絶望感を味わうことになるのです。

私は大人の目線で見たら、全く何不自由なく育てられたという印象を持っていますし、それは事実なのですが、しかし自分の中に何らかの絶望を持っていることを知っています。

それは間違いなく、幼い頃に受けた傷が原因だと思われます。この絶望感があるからこそ、人生の表舞台でどんな成果を残そうと駄目なのです。

絶望の上に立っている自分は、何を武器に持って闘って勝ったところで、所詮は絶望しているわけですから。

でもそれがあったからこそ、その絶望を正直に見ることができたからこそ、今の仕事をするようにもなったし、自己探求へと突き動かされてきたのだと思うのです。

言ってみれば、人生に絶望することはとても大きな自己探求への原動力になっているということです。これは間違いなく言えますね。

みなさんは絶望をどこかに隠し持ってはいませんか?一度じっくりと内奥をのぞいて見ることをお勧めします。

そしてそこに絶望らしきものがあると気づいたら、絶対的なチャンスがやってきたと思えばいいのです。人はそこから初めてホンモノの探求をスタートするのですから。

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