すべてのことは自動的に起きている

先ほどまで今年の確定申告の書類を作るという、この世でもっとも嫌いな仕事をしていました。それでも、以前よりは拒絶反応が少なくなってきたように思います。

それはともかくとして、今年も昨年に続いて悲しいことに税金を納めることができる程度の収入を得られなかったのです。

そればかりか、この仕事を始めて納税するようになって、昨年は最低の収入でした。収入から経費を引いた所得が、もうすでにマイナスになるという前代未聞の状態でした。

本来でしたら、当然この先の不安をヒシヒシと感じなければならないはずなのですが、どうしたことかそうした不安を感じることがほとんどないのです。

客観的に見ると、これはどう考えても由々しき事態なはずなのに、何とも感じる心がないのですから仕方ありません。

自分でも不思議なくらいに、大丈夫だという理由のない安心感があるのです。それはきっと、何であれシナリオ通りだという感覚が自分の中で育ってきたからなのだと思います。

金銭的な不安感というものは、ずっと自分の心の奥に継続的にあるものだったのですが、いつしかそれは小さいものへと変わってしまったようです。

仏陀の残した言葉どおり、「すべての行為はなされるが、そこに行為者はいない」とすれば、自分がいくら不安になってあがいたところで、起きることがただ起きるだけなのだということです。

これは本当に気持ちをリラックスさせてくれる言葉ですね。私はこのことを信頼するようになって、とても救われたように思っています。

物理的に困窮していることには変わりないのですが、それでも今日生きるうえでは支障がないということに満足してるということです。

もしも、もうすぐなくなる貯金が完全に底を突き、家賃の支払いがままならなくなったら、そのときはまた何か別のことが起きてくるのだろうと思っています。

明日、また何が起こるのかを見ることが楽しみです。そして、それを体験する自分を観照するということに、意識を向け続けることができればいいのかなと。

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