自己という内面の真実

osho の言葉からの抜粋です。

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人が絶対に確信できる現実はたったひとつしかない。
それは内面の真実だ。
人は内側に動いて行ける。
人が在するためにすら、少なくとも自分が必要だ。
すべては夢かも知れないが、自分はそうではない。
なぜなら確信できるのは、自分自身しかない。
他には何もない。
だが、ひとたび自分が存在するという、この確かさを射抜けば…。
いいかね、夢の中にさえ、自分はいる。
夢のためにすら、意識が必要だ。

あらゆるものが夢だと証明することはできる。
だが、夢を見る人を夢だと証明することはできない。
夢を見る者は、実在でなければならないからだ。
さもなければ、夢も存在できない。

確かなことはひとつしかない。
そして、それは、自分だ。
たったひとつの事だけは絶対に確かだ。
それは、自分の内面という真実だ。
改心とは、不確かな世界、見かけの世界から、
その真実の世界に向きを変えることだ。

ひとたび人が、その内なる確かさを、
自分には根拠があることを知ったら、
ひとたび自分がいることを知ったら、
その確かさによって、視界が変わる。
その質が変化する。
そうすれば外の世界を見ても、別な世界が開示される。
その世界が神だ。

人がある確かな、絶対に確かな実在に根を下ろした時、
その人の眼差しはそれまでとは異なった質を持つ。
その時、そこには信頼がある。
今や、見ることができる。
すると、全世界が変わる。

その時そこにあるのは、そう見えるものではなく、 実在だ。
本当に真実であるものだ。
本当に真実であるものとは何か。
それは、この目に見える形ではない。
形態は変わるが、その形態を通して動くものは変わらない。

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