自己否定は万能な防衛策

人は幼いときに、何か否定的なエネルギーを感じると、それを自分のせいにしてしまいます。きっと自分が悪いからだと。

そして、そのエネルギーが直接自分へ向けられているとなったら、なおの事やっぱり自分が駄目だからだと確信してしまいます。

そうしたことが繰り返されていくうちに、固い固い信念と化してしまうのです。そうなると、心は二つの方向へと分離するのです。

その一つは、自分への駄目出しをいつまでも続ける方と、もう一つは駄目じゃない自分を創ろうと必死になり、それだけでは足りずに誰かを否定しようとするのです。

前者の場合には、何があっても自分を責めるようになってしまいます。自己否定と罪悪感のオンパレードになってしまうのです。

それはまさに理不尽の極致といってもいいかもしれません。親の仲が悪いのも自分のせい、それを助けてあげられないのも自分の力不足。

誰かの役に立てない自分も駄目だし、人に理解してもらえないのも自分のせい。受け入れてもらえない駄目な自分や、人に本当はやさしくできないのも自分が悪い。

つまり、どんな困った事態であろうとも、「自分が悪いから」ということで全てを闇に葬ってしまうということです。

勿論、その実は何も解決することもできません。「この自分が悪い」というのは、本人もおかしいなと感じることはできたとしても、なかなか止めることができなくなってしまいます。

ちょうど、麻薬はいけないと分かっていながらも止められなくなってしまうのに類似しています。ただし、こうした生き方はいずれ放っておいても、もう一つの誰かを責める側へと転換します。

それは、自責を繰り返すことで心の奥底に膨大な怒りが蓄積されてしまうからです。その怒りがエネルギーとなって相手をひどく否定せざるを得ない状態へと移るのです。

どちらも自己防衛の成せる技です。その自己防衛を客観視する目を養うことが必要なのだと思います。