時空を越えた何か

私たちの本当の姿というのは、当然のこととして分かっているという知識からあまりにも離れすぎてしまって、すぐには認めることも理解することも不可能に感じてしまうのです。

なぜなら、私たちは何から何まで当たり前のこととして信じてしまっているからです。自分を一人の人間として、個人として、人物としてみていることから離れることができないのです。

それほど、思考によって固く信じてしまったことは、おいそれとリセットすることは難しいことなのですね、残念なことに…。

けれども、それは突然何の前触れも無くやってくるかもしれません。今まであれほど頑なに信じていたことが、どういうわけかあっけなく覆ってしまう瞬間があるのです。

なぜそういうことが起こるのかはわかりませんが、でもきっと一人ひとりの身の上にいつかやってくるのでしょう。

そのときに、気づきに対して戦おうとする思考、気づきを亡き者にしようとする強い抵抗が心の中にあることも事実です。

それをそっとそのままにしつつ、気づきだけに注意を向け続けることができるなら、何も難しいことではなく、ただ単にあ~そうだったのかと分かるのです。

そしてそれは、決して言葉で説明できる何かではありません。その気づきを言葉で表現すれば、「ずっと以前から知っていたよ」というものです。

何も特別なことではなくて、ただそれを受容するかどうかの違いに過ぎないのです。本当の自分は、思考ではなくて純粋な意識だったという、ただそれだけのこと。

思考には、時間も空間も必要なのですが、意識に必要なものは何もありません。だからこそ、私たちの本質は時空を越えていて思考では捉えることのできない何かなのです。