傍若無人な人への怒り

傍若無人という言葉がありますね。辞書によると、「人前をはばからず、勝手に振る舞うさま。他人を無視して、勝手で無遠慮な言動をする様子。」とあります。

「傍らに人無きが若(ごと)し」と訓読みするそうです。生まれたばかりの赤ちゃんや幼児のことをそう呼ぶ人は誰もいませんが、幼稚園や小学校に行くくらいの年齢になっても言動や態度が変わらなければ、そう呼ばれるようになるかもしれません。

傍若無人とは、ある意味何のルールも課せられていない状態であるとも言えますね。通常私たちは、年齢を重ねるごとに最初は家庭(親)のルールを与えられ、そしていずれは社会のルールに取り込まれていくのです。

そうしたルールに従って生きている限りは、傍若無人などとは言われないで済むわけです。なぜ、傍若無人な人がいるのかというのは、一旦脇に置いておくとして、傍若無人な人がそばにいるときに、腹が立ったりしたことがあるはずです。

何らかの実害がある場合は、怒りが出るのは当然のことですが、これといった実害がないにもかかわらず、腹が立つという経験をしたことはないですか?

もしもあるのなら、その理由を考えてみて下さい。一体自分の心は何に反応しているのだろうかと。内面を見てあげることはより深く自分を知るチャンスになります。

実は、私たちはルールに従って生きることで、ある一定の安心を与えられるのですが、その裏では必ず自己犠牲が発生しています。

なぜなら、ルールを守ることで自分の好みや欲求とは正反対の言動をしなければならないことが多々あるからです。もしも、より強いルールに縛られていれば、その分だけ我慢や自己犠牲は大きなものになってしまいます。

そうなれば、必ずやノールールで生きている傍若無人な人を見るだけで、怒りが出てきてしまうのです。本当は、自分だってルールに縛られない自由な生き方をしたいのに、という想いがあるからです。

その怒りの向かう先は、自分にきついルールを与えた両親だったり、社会なのかもしれません。あるいは、ルールを易々と受け取ってしまった自分自身に向くという場合だってあるのです。

ルールの緩い人に対して殊更に怒りを感じるという自覚がある場合には、相手の言動を直させようとするだけではなくて、こうした自分自身の心の状態に気づいてあげることが肝要ですね。