自分の本質を直接体験し続ける

これから先どれだけこの宇宙が続こうとも、また宇宙が誕生してから今日にいたる137億年の間においても、あなたとまったく同じ存在は二人といません。

仮にDNAがまったく同じであっても、何から何まですべて同じ経験をするなどということはあり得ないことですね。だからこそ、あなたという存在は貴重なのです。

SMAP の「世界に一つだけの花」という曲でも言われているように、あなたという存在は二度と現れない唯一の存在なのです。

だから、どんな自分であろうとも胸を張って生きようということ、私も賛成です。そのことは忘れずにいながらも、今日は違う話しをします。

それは、あなたという存在は、この宇宙という現象の中の一つの現象に過ぎないということ。あなたがどんな行動を取ろうとも、それは風が吹いて枯れ葉がヒラヒラと舞い落ちるのと、何ら違いがないということです。

私たちは、この宇宙という現象の一部に過ぎません。何も特別なものではないのです。その現象の一つに思考というものがあり、その思考の中で自分は自律的な存在だと思い込んでいるのです。

そうした思い込みというのも、単なる現象の一つに過ぎないのですが、私たちは普段そのことを忘れてしまっています。だから、自分が歩いている、自分が話している、という具合にただの現象とは捉えないのです。

思考は私たちの本質ではなく、あくまでも現象の一部に過ぎません。私たちの本質とは、あらゆる現象が起きるその土台のようなものです。それに気づいていないなどということは不可能なことです。

それは絵を描くための白いキャンパスのようなものです。どんな絵を描こうと、そこには必ずキャンパスが密着しています。キャンパスと離れて絵を描くことは不可能なことですね。

けれども、自分を身体と同一視する思考によってしか、自分を見ようとしなければ、本当の自分のことが分からなくなってしまうのは当然のことです。

思考を含めた現象をただ見ることを忘れずにいれば、いつどんな状況下においても、私たちの本質である純粋な意識という白いキャンパスのことを、直接体験することができるのです。