神に近づくことはできない

私は子供のときには、どんな難しい質問をしても明快に答えてくれる存在がいたらどんなにいいだろう、それだけで救われるのにと思っていました。

例えば、なぜ宇宙はこのような形をしているのかとか、なぜ人間がいて自分はその一人としてこの人生を生きているのだろうとか、一般的には、このような質問にも答えられる存在を神というのかもしれません。

その全能の神に少しでも近づきたい、より神聖な精神の持ち主になりたいと思う人と、所詮自分は未完成な人間として生まれたのだから、それはそれでいいと思う人がいるはずです。

前者の人たちは、神という存在を自分の外にあるものと見ていて、修行を積んだり、帰依したりして神のご加護を受けられるようになりたいということなのかもしれません。

こうした人たちは、敬虔な信者になることが多いのかもしれません。私の周りにもこのような人がいますが、大抵はとてもいい人たちです。

一方、私は後者の考え方でずっと生きてきました。自分がどれほどの努力をしたところで、神に近づくことなど到底できるはずがないという考えです。

だからこそ、生まれながらに自分は無宗教だという自覚があったのです。今にして思えば、このことは私にとってはとても好都合だったのです。

なぜなら、神という存在を自分の外側にイメージすることがなかったからです。そのおかげで、自分の本質に気づかされたときに、何の躊躇もなく自分の本質こそが神なのだという感覚が、ス~っと入ってきたのです。

一度でも神という概念を作ってしまうと、そしてそれが自分の外側にあるという想いが信念として固定されてしまうと、それ自体が大切な気づきの邪魔をしてしまうのです。

神はあなたから離れて、遠いどこかに存在するのではありません。あなたの全体性、その本質自体が神なのです。あなたという純粋な意識、内側も外側もなくただ在るもの、元々がそれなのですから近づくことなどできないのです。