無力さを真正面から受け止める

私たちにとって、最も都合の悪い自分の姿とは、無力な自分です。無力とは、自分で自分を守ることができないということを意味し、それは最大級の恐怖へとつながるからです。

したがって、その恐怖から逃れる唯一の方法といえば、それは自分は無力ではないということを自他ともに対して証明することになるのです。

私たちの生きる原動力のほとんどが、その証明をすることに向けられたとしても、何ら不思議なことではないということも理解できることですね。

それはつまり、恐怖から逃れて安心しようとすることが目的であって、理由のない幸福感や満ち足りた感覚を得ることとは根本的に異なるわけです。

恐怖心が強い人ほど自立心が旺盛だったり、他人に委ねるということが苦手なのはそういった理由を考えれば明らかとなります。

もしも、本当に満たされた心を手に入れようとするならば、まずこのことを理解する必要があります。そして、自分はもともと無力であるということを正面から見ることです。

無力であることを心の底から認めることができるなら、そこですべての戦いは終わりを告げるはずです。それは観念すること、無力な自分が白旗を揚げることだからです。

戦わなくなった心には、敵がいなくなります。それを無敵というのです。どうやったら、自分の無力さを真正面から受け止めることができるでしょうか?

それは、この世界の現象のすべてがあなたの本質である源泉からやってきたものであることに気づけばいいのです。この世界の現象はすべてが結果でしかないということを見抜くのです。

スクリーン上に映し出されたどんな映画の物語も、撮影した結果でしかないのと同じことです。あなたという人物に力があるわけではなく、あなたの本質がすべての現象の源なのです。

あなたの真の姿に身を任せるとき、あなたは真実と調和し出すはずです。そのときには、何の理由もないままに心は底なしの平安と一つになるのです。