反応と感応の違い

みなさんもご存じのとおり、コンピューターというのは非常に高速に様々な処理ができてとても便利なものですが、所詮はあるデータを入力してあげると、それに見合った一定の出力を出す単なる装置なのです。

最近のロボット型のコンピューターはもっと賢くて、同じ質問をしても次々と違う答えを返してくれて飽きない、ということもあるかもしれませんが、それでも厳密に言えば入力と出力の関係は完全に予想できるのです。

つまり、結果は100%予め決定しているということです。そこが私たち人間とは違うところだと考えられますね。なぜなら、今日あなたのことが好きと言われても、明日は嫌いと言われる可能性があるからです。

もっと言えば、人間のマインドの中には好きであると同時に嫌いであるという状態があり得るし、ほとんどの人のマインドは間違いなくその両方の要素をいつも抱えているのです。

少し話しがそれましたが、私は先日自分自身もまったくコンピューターのように一定の反応をしているに過ぎないのだということに気づいたことがありました。

ある人とある会話をしていて、この話しは以前にもしたことがあって、そのときと全く同じ反応を今回もしてしまったと気づかされたのでした。言葉も全くだったと思うのです。

このように、私たちの反応の仕方というものは、かなり予想がついてしまうものなのです。この話しをあいつに伝えたら、きっとこのように反応するに違いない、などと言ってバカにすることもあるくらいですから。

なぜそうなるのかというと、私たちの反応のほとんどは過去の蓄積がベースになっているからなのです。自分では意識していなくても、それまでのあらゆる経験や知識、あるいは考え方などを総動員して反応しているのです。

だから、1年前の反応と全く同じ反応をしたとしても、それほど驚くことではないのです。このように、反応が過去からやってくるとするなら、その人は過去に捉われて生きていると思って間違いありません。

それに対して、過去を一切使わずに、今この瞬間に応答が創造される場合、それを感応と呼ぶのです。だから感応はまったく予想することができません。

日々を感応しつつ流れていくなら、その人は生に逆らってはいません。闘うこともなく、生に明け渡しているとも言えるのです。

あなたの反応は、文字通りの反応ですか、それとも感応でしょうか?常日頃から、その違いに注意して自分を観察してみるといいと思います。