トータルに見る その2

私たちはなにかと比較をしてしまいますね。自分と他人、あるいは他人と他人を比較するのです。比較をすると、惨めになることが分かっていても比較をやめられません。

なぜなら、比較すれば、たまには優越感によって喜ぶこともできるからです。そのほんの一瞬のために、比較することを止められずにいるのです。

比較するということは、物事の全体ではなくて、常に部分を見ているということですね。ある部分を見るからこそ、比較することが可能になるのです。

全体を丸ごと見るなら、どうして比較などできるでしょうか?エゴは、どうしても自分は特別な存在なのだと思いたいのです。けれども、その目論見は失敗します。

なぜなら、私たちの誰もが元々において特別な存在だからです。始めから特別なものを、特別にしようとするのですから、うまくいくはずはありません。

あなたという存在は、宇宙ができてからこれまで一度たりとも居た試しはないし、これから先どれだけ宇宙が続いたとしても、同様ににあなたの存在と同じものは生まれないのです。

だからどれほど努力したところで、特別さに磨きをかけるなどということは不可能なことなのです。あるがままで、本当に類まれな存在なのですから。あなた自身が一つの類なのです。

その一つの類を別な類とどうやって比較するというのでしょうか?あなたの本質は、決して部分ではありません。あなたがトータルな見方をするなら、このことは理解できるようになるはずです。

生をトータルに見れば、その部分である幸も不幸も気にならなくなるのです。それらは、コインの表と裏なので、どちらか一方だけを、つまり部分だけを手に入れるということはできません。

そのどちらも含めたトータルに気づけば、そこには幸不幸を超えた至福がやってきます。至福こそが静寂であり、その全体性を比べるなどとは、誰も思わないはずなのです。