自分を縛っている制限に気づく

長いこと自分の言動に制限を設けて生きて来た人にとって、思考の大半が、これはやっていいことか悪いことなのかを選択することに費されるのです。

けれども、そうしたことが当たり前になってしまっているために、自分がそうしているという自覚を持っていないのが普通です。

だからそうしたクライアントさんとのセッションの中で、そんなこと考えなくていいですよと伝えると、考えなくてもいいのですか?となります。

嫌なことは嫌だと言えばいいじゃないですかと促せば、嫌だと言ってしまってもいいのですか?という疑問が生じるのです。

本人としてはそれが不思議でたまらないのでしょうね。癒しというのは、自分にとって当たり前になってしまっていることに気づくことがスタートなのです。

そしてなぜそのようなことになってしまったのかを、幼い頃を紐解いてゆき、原因を突き止めるのです。そしてそこに溜まっている感情こそが、現在の自分を縛っている原動力だったと理解すればいいのです。

そしてできるだけ制限を外す生き方を自分に練習させてあげるのです。その結果、最後にはやっていいことか悪いことかという範疇では生きなくなるのです。

そうしたいかかどうかが人生の中心となり、いいか悪いかは徐々に影を潜めて行くようになれば、清々しい人生へと変化していくはずです。

“自分を縛っている制限に気づく” への2件の返信

  1. 幼い頃に家庭の中で親兄弟に対してしなかった事。してはいけないと思いこんでしまったこと。
    泣きつく、怒る、駄々をこねる、ワガママを言う、甘える……
    大人になってこれらを行うのは最初は抵抗と言うか、そんな行動を取ることに疑問を感じたりしますけど、やった結果を度外視してやってみるとこれほどスッキリとすることはないですね。
    人によって様々な制限があるのでしょうね

  2. ホントにそうですねぇ。
    「僕(私)を助けて下さい!」と真正面から訴えるというのも、多くの人にとって封印してしまった言葉のようです。
    それを言えたときには、とても清々しい気持ちになれたという記憶があります。

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