「ただ観る」ことの難しさ

夏のギラギラする太陽が雲隠れしている時を見計らって、近くの公園に散歩に行ったときのことです。池の周りをいつものように歩いていたら、足元の土にきれいなまん丸の穴が空いているのに気づいたのです。

↑ のような直径1cmもないような小さな穴なのですが、踏み固められた土にきれいな形であいているのです。それもあちこちに沢山あるのです。

最初のうちは、子供が傘の先端を突き刺して遊んだ後かなとも思ったのですが、それにしては丹念に開けたなあという感じがするのです。

何かの虫が出てきた後かとも思ったのですが、あれほど踏み固められた土の中に虫が入っていたとも思えないので、不思議に思いつつも分からずにいたのです。

散歩を終えて戻ってからネットで調べてわかったのですが、どうやらあの穴は蝉の幼虫が這い出てきた穴だったようです。

個人的には、もっと端っこの誰も歩かないような、比較的柔らかな土の中にいると想像していたので、びっくり。なんで土の中にいる幼虫は踏み固められた土の中でも潰れないのだろう?という素朴な疑問。

自然界で生きているものというのは、見た目以上に逞しくて強いものなのかもしれないですね。勝手にか弱い存在だからかばってやらねばと思うのは、違うのかもしれません。

私たちは、自分の思い込みで対象物を判断する習慣があるようです。例えば、子供は幼いので何も知らないものだと思っていても、場合によっては大人以上に気を使っていることもあるのです。

どんな先入観も持たずに、判断や解釈なしにただ観るということがどれほど難しいことか、思い知らされますね。ただ観ることができるなら、どんな疑問も起きることはないということです。

マインドが育ってない無邪気な幼子の目であの蝉の穴を見るとき、きっと疑問が生まれる代わりにただジーッと見るだけなのでしょうね。

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