受け入れること、受容することが大切なのだということは誰もが知っていますが、それはなぜなのかを考えてみたいと思います。
誰しも受け入れがたいこと、あまりにも理不尽過ぎて、とてもじゃないけれどどうにもこうにも認められないというときがあるものです。
そんな時、マインドの中では何が起きているのでしょうか?いろいろ考えられるかもしれませんが、ズバリそこには惨めさがあるのです。
それを認めてしまうととても自分が惨めに思えて辛くなるのです。その惨めさから逃れたくて受け入れられないという状態になるのです。
結局一番受け入れ難いのは惨めさだったわけで、つまりはそれさえ認めてしまえば他のどんなことでも受け入れることができるのです。
自分は惨めだという思いを存分に見てあげて、そこからやってくる悲しみやあらゆる辛さから逃げずにいられるなら、マインドの受容能力が開花します。
惨めさを受容してしまえば、それ以外のあらゆる事柄のことも受容できるようになるということです。
元々惨めさから逃げることで防衛していたので、惨めさから逃げずにいてそれを受容するなら、人は無防備へと近づいていき、その分だけ人生の不満も不幸も小さくなっていくのです。
惨めさと戦わなくなったとき、自我の力は尽き果てて隠れていた愛が顕れてくるのでしょうね。