自らの防衛に気づく

私は時々思うのですが、今の自分はオリジナルの自分、あるがままの自分からどのくらい隔たってしまっているのかなと。

どんな人であれ、社会という人との関わりの中で生きていくことになるので、必要最低限度のルールを身につけることになるのです。

生まれたままの完全に無防備な状態では、野生児のようなものなのでそのままでは社会生活は送れないのです。

たとえば、つぶらな瞳のとても幼い子供は、無邪気に人の顔をじ〜っと見つめることがありますね。

学生の頃、バスの前の席に座っていた幼い子が急に後ろを向いて、至近距離から私の顔をじっと見つめてきたことがありました。

少しして、その子の隣にいたお母さんがそのことに気づいて、あんまり見たらお兄さんが恥ずかしいって…、と言ってたしなめてくれたことがありましたね。

私たちは成長するにつれて、ある一定時間以上見ず知らずの他人を見続けてはいけないことを知るのです。

こうした日常的な当たり前のルールはさておき、それ以上のルールを自分に強いてしまうと、それは防衛の類になってしまうのです。

つまり、あるがままの自分からの隔たりというのは、防衛の種類やその大きさによるということです。

一般常識として、思ってはいても言葉に出してはいけないと感じる言葉は飲み込みますが、それが防衛のレベルになってしまうと、自己表現ができない人になってしまいます。

そうやって一つひとつ自分の言動を見ることで、あるがままのレベルか、社会常識のレベルか、あるいは防衛になってしまっているのかをチェックするのです。

そうすると、これまで気づかずにやってきてしまった沢山の防衛に自覚を持つことができるようになるはずです。ぜひ試してみてください。