所有の不可能性に気づく

私たち人間には、所有欲というものがあります。手に入れたいという欲求だけでなく、それを自分の物にしたいという欲望ですね。

どんな欲望でもそうなのですが、それがあまりに強過ぎるとそれを満たすことに人生を浪費することになってしまいます。

所有欲が強いと、たくさんのものを所有することになって、今度はそれを失いたくないという不安も大きくなるのです。

ところでよくよく見つめてみるとわかるのですが、所有するということは実在ではないということ。それは本質的には不可能なことなのです。

それはある種の契約でしかないのです。ある人がこれが私のマイホームですと言っても、誰もそれを認めてくれなければそれまでです。

あなたが着ている服は私のものだと言うときに、他の人がそれを認めてくれるからこそ、所有していることになるのです。

つまり所有とは互いに認め合うことによってのみ成立する決め事でしかないのです。たとえば、戦争の一つに領土争いというのがあります。

これは俺たちが所有する土地だと主張したところで、敵がやってきてそれを奪い取ってしまったら、そんな主張は無意味になってしまうのです。

そしてあの土地は、俺たちの先祖が所有していた土地だと言って奪い返しに行くことで、さらなる争いが継続するわけです。

所有するという幻想に心を奪われてしまうと、人生をおおらかな気持ちで楽しむことが難しくなってしまうのです。

そもそも所有欲は、自分は足りないという欠乏感を埋め合わせしようとして起こる欲望なのでしょうね。

だから欠乏感をしっかり見張っていれば、それに乗っ取られずにいられたら、所有欲も減少してしまうはずなのです。

欠乏感も所有と同じように事実ではなく、自我が持っている幻想に過ぎません。それをじっくり見つめてみることが大切ですね。