時間は限られている

私たちは価値あるものに惹かれる習性を持っていますね。いろいろな種類の価値があるのですが、最もわかりやすいのは希少価値です。

少ないものには価値を感じるし、逆に沢山あるものにはそれほど価値を感じないのです。実際ダイアモンドの価値は光沢の素晴らしさだけではないのです。

それが希少だからですね。道端に落ちている石ころのように、そこらじゅうにダイアモンドが転がっていたら、どれほど綺麗でも価値は極端に下がってしまいます。

時間もそうです。まだまだ死なないと思い込んでいる人は、いつかやってくる死までたくさん時間があると思うので、時間に価値を感じないのです。

けれども、残された時間は短いとなったら、急に一日一日が貴重に感じられて、無駄に時間を潰すなどできなくなるのです。

文字もそうですね。こうしてキーを打つことでいくらでも文字を使うことができると思うので、適当な文章でもアップしてしまうのです。

これが、あと1千文字しか打てないとなったら、1文字が貴重過ぎて雑な文章は書けなくなるでしょうね。

言葉もそうですね。誰かにかける言葉や態度も、後もう少しだとなったら怒ったり、相手を否定したりすることはできなくなるはずです。

残りはもうわずかだとなった時、全てがキラキラと輝いて見えるのは、何もかもが貴重で大切に感じられるからなのですね。

だったら時間は限られているということを、誰もが忘れずに今日を生きることができたらいいのになと思うのです。