ただ在ること

科学というのは客観的な事実に基づくものです。理論を打ち出すだけでなく、それを様々な実験を通して客観的データに落とし込むのです。

それができて初めて、その理論が証明されたことになるわけです。それに対して、哲学というのは主観的なものです。

どんな実験も必要ではなく、すべてはマインドの思索によって証明しようとするものですね。

では、客観的なものと主観的なものを超えるものはあるのでしょうか?実はそれこそが真の宗教です。

間違って欲しくないのは、私たちが日常的に知っている身近な宗教はその限りではありません。

正しさを教えたり、倫理観や道徳観などを教義としているものは、残念ながら自我により作られたものです。

真の宗教には、教えと称するものはありません。それはただ在ることを標榜するのみだからです。

ただ自然であることで、私たちの本来の姿に戻るだけでいいと理解させてくれるのです。何も否定しないし、何も肯定もしません。

あらゆる思考から離れられた時に、それは自ずとやってきてくれるのです。いつかは誰もがそれを思い出すことになるでしょうね。

“ただ在ること” への4件の返信

  1. 最近は、忙し過ぎて、身体は休みたいのに、次々にやらなければならないことが出てきて、なぜこうなってしまったんだろう…と思いつつ、でもやめられないような状況に自分からしています。かと言って、のんびりし過ぎていれば、よどんでいる感じがいやになってもくるのですが。
    今日のブログと自分の今の状況には、直線のつながりは無いみたいな気がするけど、ふと、この爪の先も、宇宙の先の先のすべても、上も下も無く一緒なんだな…と思ったら頭部のこわばりがゆるみました。
    それで、またブログをもう一度読んだら、やっぱり私は、良い善い正しい、に、かなり縛られてるのかもしれない、と思いました。
    表面的には、良い悪いは無いという考えを採用している気になっていたのですが、気がつけて、よかったです。
    いつもブログ、ありがとうございます!

  2. 誰でも同じように、頭での理解がそのまま腹の底まで浸透しているわけではないです。その理解をとにかく深く深く浸透させていくのみですね。

    1. あらためて、染みて染みて染み渡っているんだな…と気がついて、もうなおることはないんだな、と確信みたいになりました。でもまた、少したつと、できた気になるのでしょうね…。その繰り返しかもしれないけど、前に比べたらやっぱりだいぶ楽にはなりました~。

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