無防備さを思い出す

生まれたばかりの赤ちゃんというのは、生物としての人間ではあるものの、まだほとんどは他の動物と同じ本能の管理下で生きています。

それはそれは無邪気なままの赤ちゃんは、まだ「私」がいないので、どんな心理的防衛もすることはありません。

この状態をオリジナルと私は呼んでいます。要するに、無私の状態、つまりは愛の状態にあるということです。

それが早い子だと2歳くらいから、少しずつ防衛することを覚えていくのです。突然無邪気さが消えてしまうということはないにせよ、愛の塊のような生き方はできなくなっていくのです。

あるがままではいけないという感覚が芽生えて、それまでの超快適な毎日が遠ざかっていくとても悲しい出来事がやってくるのです。

私たちは大人になって立派な社会人として生きていくことを求められているので、遅かれ早かれ無邪気さは隠されていくのです。

この「自分のままではいけない」という洗礼が大きければそれだけ、自我の防衛も大きなものとなってしまいます。

心の癒しというのは、オリジナルの頃のあの無防備さを思い出し、無私という愛の状態をなるべく生活の中に織り込むようにしていくことなのです。

なんでこんなシンプルなことがそれほど簡単にはできないのかというと、無防備な自分では生きていけないという強烈な思い込みが残っているからです。

無防備さは死を意味するからです。これは、実際オーバーに聞こえるかもしれませんが、本気でそう思っているのです。

そのことを見抜いて、できる限りその恐怖を受容してあげることができれば、少しずつ隠されていた無防備さを使って生きることができるようになるのですね。