自我と本質は真逆

かつてあるクライアントさんのお子さんが、傍若無人ぶりを発揮して言うことを聞かずに困っているという話をお聞きしたことがありました。

この子(男の子)がある日を境に突然、「恥ずかしい、恥ずかしい‥」を連発するようになり、静かになってしまったということがありました。

ちょっと極端かもしれませんが、要するに自我ができるにつれて自分は見られる存在なんだという思いが強くなったのでしょう。

逆に自我ができるまでは、他人の目というものが分からずにいたために、好きなように生きていたのです。

私自身も記憶のどこかにうっすらとこの感覚がやってきたのを覚えています。人から見られる自分というものに気づいて、ひどく厄介な感じがしたのです。

ところが、自分の本質というのは見られる存在の真逆であって、常に見守る側でしかないということを理解した時に、非常に救われたのです。

自我と本質とは見事なほどに全く真逆の特徴を持っています。自我は個であり、本質は全体。自我は見られる側であり、本質は見守る側。

自我は幻想(分離)であり、本質は真実(不二)なのです。この両者が、私の中で同居しているのですが、いずれは真実に軍配が上がるといいなと思っています。