所有という幻想

私たちのこの社会は、所有という仕組みなしには成り立ちません。ところが所有という事実は本当のところ、どこにもないのです。

このクルマは私の所有物だ!、そう声高に言ったとしてもそれを証明するものがなければ、その声明はほとんど役に立ちません。

なぜなら所有というのはあくまでも概念であって、事実ではないからです。だからこそ、みんなの合意を必要とする証明書のようなものが必須となるのです。

つまり所有という概念をみんなで共有することで、お互いにそれを認め合うことで、この社会が出来ているのです。

人類の歴史上途絶えることがない領土争いなんていうのは、所有を認め合わないがために起きているのです。

概念というのは思考であって、それはイマジネーション(幻想)に過ぎないのですから、相当に危なっかしいものだと言えますね。

まだ現物として実際に目に見えるもの、触れられるものに対する所有権は分かりやすいです。この家とか、このクルマとか言えるので。

一方で、実体のないネット上にデジタル化されて存在しているものの場合は、その所有権を証明するのは難しくなるのです。いくらでも完全コピーができるので。

人類は賢いので、それを可能にするブロックチェーンといった技術を開発して、仮想通貨などの仕組みを作ったのですね。

このようにして、所有というのは自我が作った社会の土台のようなものですが、ひとたび自我を見つめる側に立ってみると、所有からも離れたところに立てるはず。

そうして自分を丸裸にしてみると、なんだかとても清々しい感じがしてきます。誰が何を持っているとしても、どうでもいいことに見えてくるからですね。