「つまらない」を見つめる

今から遡ること20年以上前、サラリーマン時代の末期の頃、とにかく多忙で土日も出勤が当たり前の日々。

それプラス多大なストレスと相まって、とにかくやるべき事が一つもないという状態にならないものかと夢想していました。

思うに今それが全て叶ってしまっているのです。やらなきゃいけない事が一つもない毎日が実現してしまったのです。

でどうなったかというと、自分の中の誰かが「あゝつまらない!」と叫んでいるのが分かるのです。ずいぶん勝手だなと思うのですが…。

こうなると、時々あれこれとちょっとした気晴らしになるような事をするのですが、それもとうとうネタが尽きてきてしまったようで。

それで筋トレをしてちょっとした目標を与えて、少しは励みになったりもしたのですが、遅々として進歩しないとなると、また「つまらない!」がやってくる。

そしてとうとうスマホのフィッシング詐欺に遭うという事態を引き起こし、それがひと段落したと思った瞬間に、腰痛を起こすという流れ。

その「つまらない!」君としっかり向き合ってみると、何やら恐怖にも似た閉塞感のようなものを持っているらしいのです。

それに加えて、「毎日を漫然と過ごすのではなく、何か価値ある事をしろよ!」と言ってる輩もいるようで。

こうした自我の仕組みというのは、とても根深いものがあるのです。自我から従事するものを取り上げると、こうなるのですね。