思考に彩られた世界

私たちが暮らしているこの世界は、確かに存在はしているのですが、私たちが見て認識しているようには存在していないのです。

なぜなら、私たちの認識というのは基本的には思考を介在させているからです。思考があまりにも自然に溶け込んでしまっているので、それと気づかないだけ。

例えば、背の高い人がいれば低い人もいて、太っている人もいれば痩せている人もいる。これは事実ではなく、そのように見ているだけなのです。

どんな姿をした人も、ただそのように在るだけなのです。そこにどんな説明を加えたとしても、それは思考の世界なのです。思考が判断を生み出すのです。

私たちは一見何かの目的を持って生きているように感じていますが、それも思考によるもの、ただのイマジネーションに過ぎません。

思考の外には、どんな目的も意味も価値もありません。正確には、あることもないこともどちらもないのです。

思考の世界に棲んでいる私たちからしたら、思考のないあるがままの世界なんてあまりにも無味乾燥でつまらない。そう感じるはずです。

けれども、それは思考にまみれた自我の想いにすぎません。自我のない思考のない世界では、それがあるようにあるだけ。

その時には自他の区別すら消えてしまうことになるでしょう。なぜなら自他の区別も思考によるものだからです。