あらゆるものの真ん中を極める

今日の osho の言葉も秀逸ですね。

『あらゆるものの中心を探しなさい。食べ過ぎたり、寝過ぎたりしないように。食べなさ過ぎても眠らな過ぎてもいけない。あらゆる物事の中心を見つけなさい。しゃべり過ぎないように、またしゃべらな過ぎてもいけない。中心を見つけ続けなさい。』

かつてブッダが言っていた「中道」と同じことを言っているのですね。マインドが幼いうちは、どうしてもどちらか極端に振り切る傾向があります。

白か黒か、善か悪か、子供はどちらかはっきりさせないと理解が難しいのですが、大人はどちらでもないに価値を見出せるのです。

ずっと以前にタモリさんが言っているのを聞いたことがあるのですが、「たしなむ程度に」というのが大切だと。

何であれ、やらないということではなく、何でもできるのですがやり過ぎない。やり過ぎは耽るということを意味します。

さりとて、全くやらないというのでもなく。ゴルフどうなんですか?と聞かれて、たしなむ程度ですと答えるんだとか。

本当はものすごく凝っているのに、それは大人としてはちょっと気恥ずかしいので、たしなむ程度ですと言うわけです。

セッションにおいて、ずっと物語を語り続けてしまうクライアントさんにも困るのですが、黙ったままのクライアントさんにはもっと手こずります。

どちらの場合も、それなりにちゃんとした原因があるので、そこから紐解いていく必要がありますね。

ブッダの言う中道、osho の言う中心を見つける。簡単なようでいて、実はとても難しいことですが、二元性から非二元へ遷移するためにも真ん中を意識し続ける必要があるのですね。

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太陽さんにありがとう!

「太陽の恵み」という言葉がありますが、普段はあまり意識して生きている感じはありませんが、皆さんはどうでしょう?

農家でお米を作っているとか、野菜や果物を栽培しているという人にとっては、死活問題なので毎日気にしているはずです。

元を辿ればすぐに私たちの普段の暮らしが、全て太陽の光がなければあり得ないことは理解しているのです。

毎日の生活に欠かせないエネルギーは、自然エネルギーはもとより風力であれ火力であれ原子力であれ、その全てが太陽光が大元なのです。

ところがそんなことはすっかり忘れてしまって、外を歩く時には日傘で太陽光を遮るし、部屋の中ではエアコンが必須のアイテムです。

そんな暮らしの中で、実は最近常に太陽が顔を出してくれているのかを気にするように生活に変化が起きたのです。

その理由は、新居の屋根自体が太陽光パネルでできている優れもので、そのおかげで太陽の光があれば電気代がかからないのです。

そのため日中に自動車を充電すれば、今まで月々1万円ほどかかっていた充電代がなくなってくれるのです。

上記は、今日のお昼前の状態で、電線との間が切れていて電気を買っていないことが示されています。家の消費電力4.1kWのうち3.0kW程度が車への充電に当てられています。

その上余剰分は蓄電池へ0.8kW充電中であることが分かります。太陽さえ顔を出してくれたら、その恩恵がヴィジュアルで明らかになります。

太陽の恵みをこんなにありがたい気持ちで受け止められるようになったこと自体、とても感謝できますね。

動画のアクセス回数の不思議

先ほど自分のYouTubeチャンネルを見てちょっとびっくりしたのですが、三週間くらい前に挙げた動画で、「瞑想のすすめ(実践あり)」というのがあるのです。

それが、こんな弱小チャンネルなのに、1,000回以上のアクセスになっていました。特別なにも考えずに撮った動画なんですけどね。

自分自身では、もっともっと大切な内容になったと思っている動画も沢山あるのですが、そういうものはあまりアクセス数が伸びない。

こうした自分と世間の皆さんとのどうしようもない興味のズレ、これはもう何をどうやったって埋めることは無理なのかなと。

確かに元々、誰1人として見てもらえないとしても勝手に好きで撮影して挙げるだけの動画だから、アクセス数などどうでもいいかと。

そう思っていたはずなんですが、ちょっと数字が伸びたものですから、欲が出てきたということなんですかね。

他にも、「意識的である事がいかに大切か」という動画も600回弱のアクセス数となっていて、私のチャンネルではとても珍しいのです。

不思議に思って、再度見直してみたところで、ごく普通の内容になっているだけで、これといった他との違いは見当たらないのです。

これからも、自分と皆さんとのズレを感じながらも、やっぱり自分の好きなように動画を作ってやっていければいいかなと思いますね。 

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「分からない」なりにやって行く

初めて挑戦することというのは、それがスポーツであれ楽器であれ、どんなジャンルであれ最初は皆目どうやればいいのか分からないものです。

なるほどという深い理解を得てからでは、いつになっても挑戦していくことなどできないわけですね。

かつてヒーリングを習ったことがあるのですが、左脳人間の自分には先生が一体何を言わんとしているのかが不明でした。

というよりも、そんなあやふやな言い方をせずにもっとしっかり説明してくれよ、とそういつも思っていたのです。

そうやって説明の内容に納得ができるまで、実践することなくただ漫然と待っていたとしたら、きっと何もできずに終わったはずです。

私の記憶としては、納得など程遠かったのですが、それでもとにかく実践するしかないと思って毎日のようにヒーリングをしたものです。

そうやっているうちに、あれ、こういうことなのかもしれないという気づきらしきものがやってきたりしたのです。

要するに、頭で考えて納得したいところですが、そこをそのままにしつつただ身体を使って実践することが大切なのです。

心の癒しも同じです。何回かしか私のセッションを受けていないクライアントさんは、私の説明が理解できないことも多いはず。

それでもめげずに、ただ言われたように実践し続ける勇気があれば、それはいずれ何かの形として現れてくるのです。

そうなったら、実践と理解を深めていくことを両立させながら、進めていくこともできるようになるのですね。

とにかく、初めのうちは実践あるのみですね!

こだわりを捨てると人生から苦しみが消える

私は長い間、「こだわり」というのは人生に潤いを与えてくれて、毎日をより楽しいものへと変えてくれる大事なものだと思っていました。

服装にこだわりを持っている人はオシャレだし、素敵だなと思うし、本人もそのことを楽しんで生活していることが伺えます。

私には皆目分からないことですが、ビンテージものの古着とかを何万円もかけて購入して、悦に浸っている姿をよく見ますね。

私自身にも幾らかのこだわりがあって、新居の設計をするときに床材とか壁などにかなりこだわって、選んだつもりなのです。

棟梁からは、大工さんが大変だったと愚痴られたくらいですから。それでも、やはりその出来栄えを見て間違ってなかったなと。

けれどもその逆もあって、こだわった部分が自分の思っていたようにはできていなかったりすると、こだわった分だけ落胆もひとしおなのです。

こだわりを持つと、喜びもやってくる反面、それが望み通りに行かない時の反動も大きくなってしまうわけです。

それと同時に、たとえこだわって望み通りになったとしても、その喜びや満足感がどれだけ続くかということ。

きっと、長くて数ヶ月。一年も持たないのではないかと疑っているのです。だとすると、初めからこだわりなど持たないでいたほうがいいのではないかと。

こだわること自体を楽しむことができるならいいと思います。そうでないのなら、こだわりを捨ててやってきたものとの出会いを楽しむほうが賢いのかなと。

こだわりを持つというのは、別の見方をすると視野が狭いということも言えるかもしれません。

ブッダのように、最大の視野を手に入れた存在からすれば、どんなこだわりも子供のような視野の狭さのなせる技だと感じるのかもしれませんね。

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誰もが夢を叶えて生きている

私たち人間には、常に望むことと望まないことがあり、そのどちらであるかを判別しながら生活しているのです。

望むように物事が起きれば嬉しいし、そうでなければ辛かったり悔しかったりを経験するわけです。

けれども、もしかすると本当は望んだ結果が今やってきているのではないかと考えることができます。

望んで夢にまで見て、やっと地球ランドへやってこれた。もうこれだけで望みは叶ったのですが、そのことを完全に忘れていると。

今私たちが経験している全てが、望みが叶った結果なのですから、その上で望むことと望まないことを判別しているのは愚の骨頂。

願い事が叶った状態で、毎朝目を覚まして1日を迎えるのです。それを楽しまない手はありません。

ところがどっこい、日々の物語の中に埋没してしまっていると、こうしたことに気付けなくなってしまうのですね。

私たちが本当に望んだのは、どんな物語を体験するかというよりも、この地球であらゆることをあるがままに感じることではないかなと。

悲喜こもごもの出来事がやってくるのは、こうしたことを証明しているような気がします。明日もそれを確認しながら、ゆっくりやっていきましょう。

幼い頃に作った自己イメージの引力圏からどう抜け出せばいいのか?

私たち人間は、本質的には誰もが幼い頃は無邪気な状態で生きているものです。まだ社会の一員になる前の家族という小さな領域で生きているだけだからです。

ある時点から団体生活の中に放り込まれるようになって、少しずつ人と共同生活をするために必要となるルールや知恵を学ぶことになるのです。

そうなったら、無邪気一辺倒ではやっていけないと知るわけです。そして、徐々に大人への道を進んでいくことになるのです。これが平均的な成長の仕方です。

ところが、時として幼い頃から一種大人のような感覚を持って毎日を生きてしまう子もいるのです。その理由は様々ですが。

多くの場合は、過度に敏感な気質で生まれてしまうことによると私は考えています。マインドのある一部分だけ突出して大人びているのです。

そこが邪魔をして、思う存分無邪気に生きることができなくなるだけでなく、その突出した部分は大人になってもそのまま居続けることになるのです。

なぜなら、大人になっても元々が大人びてしまっていたために、それをそのまま踏襲しても大人の自分が違和感を感じずに済むからです。

そのいびつなマインドが作り出した幼い頃の自己イメージが普通ではないのは想像にかたくありませんし、それは当然大人になっても生き続けてしまうのです。

その結果、その自己イメージ通りの人生がやってくることになるのです。それは非常に過酷な毎日を迎えることになるはずです。

尚且つ、なぜ自分の人生がこんなに生きづらいことになってしまったのかの原因が分からないままに苦しむことになってしまうのです。

その大人びた子供が作ったコンフォートゾーンから抜け出すためには、専門家の力を借りることを検討してもいいと思いますね。

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天国も地獄もあなたの内にこそある

今日も osho の言葉から始めてみます。

『それが各時代を通じて人々がやってきたことだ
彼らは自分自身を変えずに、天国にあこがれる
だがどこへ行こうと彼らは地獄を生み出す
彼らが地獄だ
それはどこかに天国を見つけるという問題ではない
自分のなかにすでにそれを持たないかぎり、あなたはそれをどこにも見出すことはない』

そんなことはない、天国に行けば誰だって幸せになることができる、そう感じているとしたら考えが浅いということですね。

仮にあなたのマインドの中が暗くて、嫉妬や恨みなどで占有されていたとして、それにそぐわない天国に行けたとしたらどうでしょう?

しばらくの間はいいでしょう。あなたはやっと憩いの場所を見つけることができた、やっぱり天国に来れれば誰だって幸せになれる、そう思うかもしれません。

けれども、やがて時が経つにつれてあなたのマインドの中の内容物がドロドロと外側へと染み出してきて、あなたの周囲を変えていくのです。

人は必ず自分のマインドに見合ったコンフォートゾーンを作り込んでしまうのです。もしもそれができないとしたら。

今度は、あなたが自ら天国から逃げ出して元いた場所へと戻ってしまうでしょう。それが心理的ホメオスタシスの働きです。

私の表現を使えば、「エネルギーは友を呼ぶ」ということになります。あなたの周囲に起きている事象というのは、あなたのマインドの投影なのです。

時間差は起きるかもしれませんが、早晩いつものあなたに戻ることになるはずです。外側ではなく、内側を見つめることですね。

全ては淡々と通り過ぎて行くだけ

今日も osho は端的に、そして明確に表現してくれています。

『達成における幸せとは、
強化され拡大した、その「私」の幸せだ。
だがこの「私」は、決して完全には満たされない。
それはまさにその本性からして、飽くことを知らない。
だから、幸せとはそこにあるように見えるにすぎず、
現実には決して手に入らない。』

この「私」というのはご存知「自我」のことですね。どういうわけか、私自身若い頃から達成感が少なかったために、こうしたことに気づきやすかったのかなと。

自我は達成することが大好きなのですが、かと言ってそれで満足することなど到底できないのですから、可哀想なものですね。

どれほど努力したところで、ご褒美の飴玉を一つ貰っただけで、すぐさま次の問題へと向かっていくことになるのですから。

幸福感、満足というのは残念ながら頭の中にだけある妄想だったということです。現実にはそんなものは存在した試しはないのです。

これを書いていて、今またとても深くこのことに気づくことができた感じがします。物事を達成しても達成しなくても、何も変わらないのです。

自分自身が何をどうしたのかというよりも、やはり万事塞翁が馬なんですよね。今日もまた一つ、それを実感するような出来事がやってきたので。

瞬間瞬間、やってくる物事から逃げずにさりとて戦うこともなく、淡々とともにいるだけで全ては通り過ぎていくのですね。

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意識的でいれば視野が広がる

ほぼ毎日クルマを運転する身としては、なるべく全体がスムーズに効率的に動けるようにしたいと心がけています。

例えば、交差点では右折する対向車を発見した場合、そのクルマの後ろに複数台クルマが待たされてしまうようなら、自分が譲るようにしています。

自分が譲ったところで、前方のクルマにはあっという間に追いつくことは明白だからです。誰も損をしないわけです。

ところが、こんな簡単なことができない人が大勢いるのです。理由はいろいろあるのでしょうけれどね。

何か考え事をしているとか、心に余裕がないとか、そんなところかなと。なぜそう思うかというと、明確な理由があるのです。

それは、我々が左脳(マインド)優位になっている時というのは、必ず視野が狭くなってしまうという特性があるからなのです。

仮にあなたが深く考え事をしていたら、視野はほとんどなくなってしまい、誰かが近づいてきても気づかない可能性すらあります。

その一方で、思考が緩み、意識的になっている時というのは視野が広がると同時に視点が高くなるのです。

だから、運転していて全体を見渡すことができるのですね。すると当然、事故を起こす確率も小さくなるわけです。

最近よく思うのですが、自転車に乗っている人って、そのほとんどが無意識的なんだろうなと。もう諦めてますけどね。