事実は思考に依存する

竹島や尖閣諸島などの領土を巡って、毎日のように報道がなされています。日本人の領有権に対する感覚と、韓国人や中国人のそれとの温度差が異常に大きいということに、改めて驚かされますね。

竹島も尖閣諸島も北方領土も、勿論日本の領土であるということは、歴史を調べても明らかであると認識できます。

けれども、その正しさというのは事実であって、真実ではありません。事実というものには、必ず思考が介入しているのですから、思考が違えば事実は変わってしまう可能性があるのです。

このことを人類が、本当には理解していないということは、戦争の歴史を見れば明らかです。自分の思考の中で認識される事実は、普遍的なものだと思い込んでいるのです。

だからこそ、相手の認識する事実が自分の認識する事実と異なるなどということはあり得ないと思っているのです。

つまり、自分は正直に事実を述べていると思っているときに、見解が異なるということは、相手は嘘をついているという結論に至るわけです。

百歩譲って、嘘をついているとは言わないまでも、なんらかの勘違い、事実誤認がそこにはあるのだと思って、どうにかして相手を説得しようとするのです。

当然のことながら、こうした説得、あるいは訴えは決して成功するものではありません。相手は自分と同じくらいに相手自身の事実認識に絶対の自信を持っているのですから。

事実は一意には決められないということ、事実に基づく正しさというものは、思考の内側にしか存在できないということを、私たちはしっかり理解することです。

絶対的真実はあるとしても、絶対的事実などないということです。他国の味方をしようとしているのではありませんが、事実ほどあてにならないことはないのです。

それぞれの国のリーダーたる人物が、互いにこのことを理解できるなら、領土問題は解決するのではなくて、知恵による協調のネタに使おうとするはずですが…。

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