楽を求めるなら満たされない その2

昨日の続きというか、補足的なことを書こうと思います。

楽である状態と、楽である状態を求めることとは根本的に違うというところから始めます。楽であることは何も問題ないのですが、それを求めていることが問題なのです。

楽の反対は苦であるとして、私たちは苦しみから逃れようとするようにプログラミングされているのですが、それは結局のところ楽を求めるということと同じことなのです。

苦しみという不都合なことから逃れようとすると、うまくいくことがあったとしても、それは一過性のものであるということに気づかなければなりません。

長い目でみれば、残念ながら苦しみは過去から必ず追いかけてくるのです。決して逃れられないことになっています。

なぜそうなるかというと、何かから逃げるというのは、本当は見えないところで自分自身がそれを握り締めているからなのです。

苦しみが追ってくるのではなくて、自分が過去から無意識に引っ張ってきてしまうのです。どれだけ上手に逃げ回ったとしても、逃げおおせないのはそういう理由なのです。

それはまるで影のようなものです。自分が気づかずに引きずっている影を立ち止まって見ることです。しっかり見ることができれば、それは怖いものではなかったと悟ります。

そうすれば、私たちは長年従わざるを得なかったプログラミングから少しずつ開放されることになるのです。このプログラミングを別の言葉で言えば、自己防衛ということになります。

自己防衛が緩んで、影を恐れなくなれば、楽を求める必要がなくなり、おのずと苦しみが消えていくということになるのです。