所有するという幻想から目覚める

大切なものを喪失するのは、誰にとっても辛いことですね。自分が一度手に入れることができたなら、それを失いたくないと思うのです。

勿論欲しいと願っているものが手に入らないということも、苦しいことかもしれません。けれども、私たちは一度手にした喜び、一度味わった満足感を忘れないのです。

そして、その宝物を決して奪われたくないと強く思うのです。これが、執着のもっとも代表的なものかもしれません。

執着しているものが、手から離れそうになると、必死になって悪あがきしてしまうのです。それが、強烈であればあるほど、苦しむことになってしまうのです。

つまり、喪失を受け入れられずにいればいるほど、苦悩は募るばかりです。分かってはいるのですが、自分の心は簡単にはコントロールすることができません。

逆らうことにもいつか限界がきて、もうどうにでもなれと観念してしまえば、驚くほどさっぱりと楽になってしまうことにびっくりするかもしれません。

そこまで行く前に、こうした執着をなくすためには、一体どうしたらいいのでしょうか?そのためには、所有するということをじっくり見つめなおすことが大切です。

所有するということが、単なる約束事であり、本質的なことではないということに気づくことです。AがBを所有するという場合、それは単なるルールなのです。

ルールは真実ではありません。決め事に過ぎません。ということは、自分が何かを手に入れたと思うこと自体が間違いだったと分かればいいのです。

そうなれば、喪失ということ、そのものがなくなってしまいます。所有するという幻想から、そろそろ目を覚ますときがやってきたのではないかと思います。