常に新鮮さの中に在る

本当は、ただ在るだけなのに、思考は少しの隙間もないくらいに、絶えず事細かな解説をし続けています。

思考が緩んでくると、時間経過の間隔が曖昧になってくるということは、時間を作り出しているのは、思考に違いないということが分かります。

物事を時間の流れの中にしか捉えることができないのも、思考の特徴です。それが、実は物語を継続させる方法なのです。

本当は私たちが思っているような時間はありません。一瞬一瞬に起きては消えて、また起きては消える。これを繰り返しているのです。

つまり、連続しているように思えるあらゆる事柄は、すべてが不連続であるということ。不連続なので、日常的に感じている因果というものなど本来あるはずもありません。

原因があって、その結果が起こるというのは、単なる思考の解説に過ぎません。すべては、この瞬間に新しく生まれては、消えていくのです。

それは何と美しいのでしょう!どの瞬間も完璧で、完全に独立していて、いつも新鮮で、そこには物語など一つもあるはずがありません。

物語が大好物のエゴからすると、その物語の中にこそ美しさや愛があると思いたいのですが、真実はそうではありません。

本当の私たちは、いつも生まれたばかりの新鮮さそのものの中にいる、そしてそれ自身こそが私たちの本当の姿なのですね。