無防備さの中に寛ぐ

私たちの心の根っこにあるネガティブな感情は恐怖です。その恐怖が、さまざまな形へと変化することで、悲しみや怒りなどのいろいろな感情に化けていくのです。

その大元の恐怖があるからこそ、自己防衛をするようになるわけですが、それが気づかぬうちに過剰な防衛をするようになるのです。

それはまさしく、自己防衛のシステムそのものを継続するためなのです。したがって、恐怖を避けるために防衛するのではなくて、防衛するために恐怖を感じるのです。

私たちはついこのことを忘れてしまいます。○○は怖いので、それから身を守るために独自の自己防衛システムを稼動させると思い込んでいます。

けれども、本当はといえば、自己防衛をし続けようとするエネルギーがあるからこそ、そこに恐怖を感じてしまうのです。

つまり、毎度お話ししているように、「自分は傷つきたくない」という自己防衛が先にあり、その結果が「傷ついてしまう」ことが起きるのです。

もしも内的な自己防衛が少なくなれば、その分だけ傷つくことも少なくなるのです。生物としての防衛本能が根っこにズッシリとあるので、どうもそれに騙されてしまうのですね。

愛は自己防衛の本能さえもなんなく越えてしまうもののようです。自己防衛が緩んだあの瞬間、あの無防備さの中で寛ぐことは至福の悦びです。

本当の自己は未来永劫どこへも行くことはないし、どうなるということもありません。ただ全体性として在ることに気づいているのです。