「気づき」こそが真実

「気づき」という言葉を私たちは、何気なくよく使っていますが、本当のところ気づきとは一体何のことを指すのでしょうか?

あえて表現すれば、気づきとは知覚を使わないで知る方法であると言えます。但し、ここでいう気づきとは、一般的に使う「忘れ物に気づいた」という場合とは異なります。

この場合は、思い出すというような意味合いで使っているのですが、「気づき」は気づいている状態であることも含むのです。

私たちの認識のすべては、知覚であったり、知覚が元になってなされるのです。そして、知覚が機能するためには、知覚する主格と知覚される対象との分離が必要です。

知覚する主格自体を真に知覚することは不可能です。自分の肉体の目でそれ自体を見ることが不可能であることを考えれば、当たり前のことです。

「気づき」とは知覚のように対象を必要としない、主格自身がそれ自体を知ることなのです。私たちの本当の自己が、それ自身を知る方法こそが気づきなのです。

気づきは知覚のように間接的ではありません。それ自身がそれ自体に気づいているのですから、これほど直接的なものはないですね。

したがって、気づきを騙すことはできません。それそのものに直接気づいているのですから。これが真実なのです。

これに対して、知覚は残念ながら身勝手な作り物でしかありません。なぜなら、決して知りえない対象に対する認識だからです。