真実は表現することもイメージすることもできない

どれほど真実を表現しようとして言葉を並べても、残念ながら真実を伝えることはできません。なぜなら、言葉は思考からやってくるからです。

思考をどんなに駆使したところで、所詮思考の枠の中でのことだからです。世界一信頼されている経典に書かれている言葉であっても、それは同じこと。

決して真実を表すことなどできません。たとえば、すべては「無」であるというとき、それは真実は何かではないということをいいたいに過ぎません。

私たちが考える何かではないということだけははっきりしているので、なにものでもないということを言いたくて「無」と表現しているのです。

したがって、「無」だからといって空虚とは虚無ということでも本当はないのです。ただただ何ともいえないし、イメージすらできないものです。

「無」であっても、それはただ在るのです。あらゆる現象の根源ですから、私たちが想像しているような「無」とは違います。

それはイメージとは違うというレベルのものでもありません。言葉や思考とは何と虚しいものなのでしょうね。最近、つくづくそう思ってしまいます。

自分はどこにいるのだろう?って見て、ああやっぱりどこにもいないし、全体性として遍在しているという感覚さえも、真実ではないのでしょう。

私たちは、本当には知っていることを知らないと信じていて、知っていると信じていることは本当は何も知らないということにも気づいていません。

真実は無限に遠いし、限りなく近いとも言えますね。