虚構を見抜くことこそが真の救い

ときとして静かに坐ることがあったら
目を閉じて感じてごらん
自分が誰であり、どこにいるのかを–
深く進んでごらん
すると不安になるかもしれない
なぜなら、深く進めば進むほど
あなたは自分が誰でもなく
ひとつの無であるにすぎないのをより深く感ずるからだ

by osho

エゴにとって、自分という存在が虚構だったと気づくことほど、空恐ろしいことはないでしょうね。

網の目のように張り巡らされた思考の中で生きている限りは、これが現実でありこれが自分自身なのだという感覚を持ち続けることができるのです。

だからその安心感の中にずっといたいがために、思考を途切らすことができないのです。誰もが基本的には瞑想が苦手なのはそのためです。

思考から離れてしまえば、何もかも消えて無くなってしまうのです。というより、あるとかないとかというそのこと自体が消えてしまうのです。

本当にそこまでいってしまえば、実は恐怖もなくなってしまうのですが、中途半端な状態で無を感じると不安や恐れが出てくるのです。

人生で何があれ、それがどんなものであろうとも、マインドという思考の塊から距離を置くことができると、そこには完璧な救いがあるのです。

それを知っているかどうかは、ものすごく大きな違いではないかと思うのです。それを知らずに生きている人の何と多いことか。

この世界の中に救いがあるのではなく、この世界も含めてすべてが虚構であることを見抜くことこそが、真の救いなのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です