究極のことを言ってしまえば、私たちが真に救われるためにはただ目覚めること以外にはありません。
お金持ちになっても、欲しいものが手に入ったとしても、どんな希望が叶ったとしても、それはすべて同じこと。
自我にとってはそれは嬉しいことかもしれないけれど、自我の興奮はすぐに終わってまた次の欲しいものへの渇望が始まるのです。
だからこの生を、あるがままの生を人生と勘違いしている限りにおいては、本当の救いにはならないということです。
それはたとえば、眠りの中で夢を貪っている人がいたとして、その人の夢の中に介入してその夢をハッピーなものに変えてあげたとしても、それはただの夢に過ぎないのと同じこと。
その人を救うには、あなたは今夢の中にいるんだよと教えてあげること。そして夢から覚めるように身体を揺さぶってあげること。
そうやって揺り起こしてくれるのがマスターですね。でも身近にはそんな人いないので、何かの力を待つしかないですね。
勿論ただ待つのではなく、それがいつ自分をノックしてくれてもそれと分かるように準備しておくことが大切です。それが瞑想かもしれませんね。