惨めさを見守る

自我の一生というのは、自分は惨めなんかじゃないということを証明しようとして悪戦苦闘することを言うのです。

もちろんそればかりではないのですが、そのエネルギー源はどこからくるのかと言えば、自分は惨めだと言う思い込みからくるわけです。

何であれ自我は期待を持って物事を見るのです。そうなると、その期待値に対して現実が届かなかったならば、その落差を惨めだと思うのです。

だから期待値が高ければ高いほど、また現実が期待値から離れていればいるほど、惨めさの大きさも増すのです。

この惨めではないということを証明しようとする生き方を辞めない限り、惨めさは付きまとうことになります。

頑張れば頑張るほど、実は惨めなんだと言う思い込みが強くなって、最後は信念になってしまうのですから。

惨めさから解放される唯一の方法は、見守ること以外ありません。惨めさは事実ではなく、思考に過ぎないと言うことを見破ることです。

それには見守ることです。その思考と距離を置くことで、惨めさを笑っていられるようになるのです。

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