不可能性を見抜く

実際にやってみないことには、可能か不可能かは分からないから、とりあえず挑戦してみる、と言うのがあります。

特に若い人には、私も勇気を出して沢山挑戦してみてほしいと思うのです。たとえ可能性がほんのわずかであっても、諦めずにチャレンジすることは素敵なことです。

けれども、最初から不可能だと分かっていることに挑戦することほど馬鹿げたことはありませんね。

そんな無駄な努力はないからです。100メートルを5秒で走れるようになりたいと思って、毎日練習するのは無意味です。

ただし、目的は達成されないとしてもその練習のおかげで、足腰が丈夫になったり健康維持ができたりすることはあるかもしれません。

問題は、そこに自己犠牲が紛れているといつかは破綻する時がやってくるということです。そして子供の頃というのは、不可能だと気づけないことが多いのです。

たとえば親からの期待に応えようと頑張る子供は沢山いますが、いくら頑張ったところで不可能なこともあるのです。

その子は親の期待に応えられない自分を責めたり、罪悪感を感じてしまうことになるでしょう。

もしもあなたのマインドに罪悪感がびっしりこびりついているなら、子供の頃に何らかの理由で不可能なことをずっとできるようになろうとしていたことを疑ってみて下さい。

この世の中は、不可能性に満ちています。不可能なことをしっかり見極めて、そこから手を引くことで罪悪感から離れていくことができるのですね。

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