自分の事を他人事のように見る

母親が子供に絶対言ってはいけない言葉というのがあります。子供がそれを聞くと、自分という存在を否定することになるような言葉です。

たとえば、産まなければよかった、いらない子、男の子(女の子)が欲しかったのに、産んだせいでこんな目に遭った等々。

上記のような発言をする親はもしかすると少ないかも知れませんが、それに準ずるような言葉や態度をする親は少なからずいるものです。

幼い頃のそうした体験というのは、いつまでもマインドの奥にあって、生きる土台となっているのです。

もちろん他人の事として見れば、親の心が病んでいたせいでそんなひどいことを言われたけれど、その子には何の罪もない、という理解はできるのです。

けれども、それが自分自身のこととなると様相が変わってきます。というのも、子供の頃に作ってしまった自己イメージが岩よりも堅い信念として残るからです。

大人の理性と子供の信念では、後者の方が圧倒的に強い力を持っているため、いくら理性を働かせて公正に判断しようとしてもダメなのです。

自分のことを客観的に見ることが難しいのは、そうした理由があったということですね。

何につけても、自分のことを客観的に、あるいは他人事としてみることができるようになるまで、癒しは必要だということを忘れないことです。