「分離」を見破る

私たちはこの世界を分離という概念によって見ています。あらゆるものが個別に存在していると感じるのです。

それは、自分という存在がそもそも個人であると思い込んでいるために起こる、妄想に過ぎません。

思い込みということは思考なのです。だからその思考が停止してしまえば、一瞬にして分離は消えてなくなります。

それが全体性と私が呼んでいるものです。その全体性を感じると言っても、五感を使っているわけではないので、何とも表現ができないわけです。

言ってみれば、一人称でも二人称でもない、これとかあれのように指差すことができない、そういう世界。

思考さえなくなれば、すぐさまその世界に戻ることができるので、この全体性こそが真実の姿だということが分かります。

ところがそこに戻らないように必死に抵抗しているのが自我なのです。それはそうでしょう、全体性(真実)の中では自我はその存在の虚偽性がバレてしまうから。

そして私たちはその自我こそが自分なのだと信じて疑わないのです。こうしたことを腹の底から見破れるなら、生と死が一つとなる非二元の世界が現れてくるのでしょうね。