元々自我なんてない

osho は21歳で覚醒してしまった特異な人物ですが、59歳で亡くなるまでの間に沢山の講話を行ない、それが全世界で数百冊の本となって出版されているのです。

正確な数字ではないと思いますので、興味があれば調べていただきたいのですが、その数の多さもさることながら、考えなくてはならないことがあるのです。

それは、膨大な量の非常に貴重な講話をした本人がいないということです。講話を始めた時にはもうすでに覚醒してしまっていたので、彼の自我は消えていたわけです。

では一体全体誰があの素晴らしい講話をし続けたのか?勿論誰でもありません。ただそういうことが起きたのです。

これこそが、この世界が全自動で動いているという証拠です。自然というのは全自動のことを指すのです。

自然が誰かの意思に基づいて起きているわけではなく、ただそのように何の理由もどんな目的もなく、自動的に起き続けているのです。

私たちの自我の立場からすると、到底理解することができないのですが、自我の理解などは非常にちっぽけなものなので、わからなくて当然なのです。

自我の理解を超えた事柄を、そのままに受け入れることができるなら、自我はいずれ崩壊していくことになるでしょうね。

あなたという自我がいなくても、あなたは生き続けるのです。それだけは間違いないことです。なぜなら、自我はもともと幻想の産物だからです。