「ノー」が自我を育てる

セッションで様々なクライアントさんと向き合っていると、幼い頃からしっかりと自己表現をしてこなかったという方が少なくないのです。

自己表現というのは、「イエス」ではなくて、「ノー」を言うということです。それが言えなければその都度、自己犠牲を招いてしまいます。

その結果は明らかで、マインドはどんどん病んでいくことになるのです。だからシンプルに、そうしたクライアントさんには「ノー」を言えるようになって下さいと激励します。

ところが、「イエス」を言うことが美しいし、人としては素晴らしい生き方だというような知識があって、それが邪魔をすることがあるのです。

どんな時でも「イエス」を言うことが、究極的には明け渡しの状態をイメージするので、それは確かに一理あることは分かっています。

ただそのショートカットは非常に危険だし、ほとんど逆効果だと言っても間違いではありません。

赤ちゃんは純粋無垢の状態で生まれてくるので、心理的「ノー」がないのです。ところが、「ノー」を言い出すことで自我が生まれるようになるのです。

つまり、「ノー」が自我の生みの親であり、育ての親なのです。私たちは「ノー」を繰り返すことによって、1人の人間(自我)として成長することができるのです。

「ノー」が健康な自我を育むわけです。ところが、成長過程の大切な時期に「ノー」を言うのをやめてしまう子供がいるのです。

つまり、この状態というのは「ノー」によって作られた自我が、自分を守るために今度は「ノー」を禁止してしまうのです。

ここをしっかり理解することができれば、まずは「ノー」を取り戻して健康な自我となる必要があると分かるはずです。

どんな時であれ「イエス」を言う明け渡し状態とは、決して強いられたものではないということ。

そしてそれは、健康な自我を取り戻した後、そのずっとずっと先に待っているものだということを忘れないことですね。