完全さと全体性は真逆

昨日のブログでは、完全になろうとせずに「不完全であれ」というお話をしました。不完全であることが自然だということ。

自我は完全さを追い求める習性があるのです。それこそが不自然だといっているのですね。

完全さを求めるのは神経症のようなもの。絶対に不可能なことに挑戦し続けるのですが、それによって自我は存続するのです。

なぜなら、完全さを求めるということは、今の自分の不完全さと未来の完全さの間で分裂してしまっていて、それこそが自我(思考)の本性だからです。

分裂の反対が全体性です。全体ということはそれが全てでそれ以外はないので、分裂ということが不可能だからです。

全体性あるいは全一性でもいいのですが、自分の中が分裂せずに一つになっている状態。ここに自我が入り込む余地はありません。

あなたが何かに集中している時とか、熱心に脇目も振らずに物事に取り組んでいる状態では、あなたは一つになっているはずです。

全てを忘れて歌ったり、ダンスをしたりして開放されている瞬間があるなら、その時にもあなたは一つになっているのです。

そのような時には自我は落とされている状態なのです。ただし、それはあくまでも一時的なものです。

普段の状態に戻れば、すぐに自我が戻ってきてあなたを分裂の中へと戻してしまうのです。

完全さは全体性とは真逆であるということをしっかり理解することですね。