観念にまみれてる

osho の逸話でちょっと面白いものがあったので紹介したいと思います。

ある人が、osho が腕時計を何度も頻繁に見て時間を確認している姿を見たらしいのです。

その人は、osho が本当に覚醒しているのなら、時間なんて時計を見るまでもなく、分かるはずだと思ったのです。

だから osho は覚醒などしてないのではないかと疑ったということでした。

それに対して、osho は次のように言ったのです。自我が落ちて覚醒すると、時間という概念が消えてしまう。

常に今この瞬間に在るので、腕時計で確認しなければ、見せかけの時間が分からなくなると。

確かに私自身短い間ですが、自我が傍へ追いやられていた時に、時間は思考が作るイマジネーションだと分かっていました。

osho がこの逸話で伝えたい事は、誰もが観念を総動員して物事を見てしまっているということ。

覚醒した人は、きっとこうに違いないという勝手な思い込み、観念が働いてしまうのです。

ジャイナ教のマハヴィーラという覚者は、常に全裸で過ごし、床を転げ回って大笑いしていたそうです。

自我が落ちれば、私たちのような道徳心や恥の概念も持ち合わせていないということです。

ジャイナ教の信者には、覚醒者は全裸でいるものという観念があるため、osho が素晴らしい優雅な服をきているので、やはり覚醒していないと見るのです。

観念を捨てられないまでも、観念にまみれて生きていることには気づいていたいものですね。