子供は大人の父親

私が生まれ育った家の一軒あけた隣の家に、ヨシカズちゃんという同年齢の友達が住んでいました。

彼とは中学校を卒業するまでずっと一緒でした。小学校低学年の頃、夏の暑い日に自宅のベランダで2人でただじっとしていることがありました。

母親はそれを見て、いったい2人はそこで何をしているのだろうと不思議に思っていたそうです。そりゃあそうでしょうね。

ジリジリする太陽の日を浴びながら、そこでただ黙って2人でじっとしていることが私は好きだったのだと思います。

彼は、どういうわけかいつも従順で、私がすることを同じようにする子だったようで、だから特に会話をする必要もなかったのです。

身体を動かすことが嫌いということは決してなく、運動する時には活発な男の子だった私ですが、身体を動かさずにいることの魅力をどこかで知っていたのです。

彼もそれを感じてくれていたのかどうかは、本当のところわかりません。けれども、あの感覚というのは今で言えば瞑想に近いのかもしれないと思うのです。

ある人の言葉で、「子供は大人の父親」というのがありますが、それは子供の頃の奇妙な体験というのは、その後の人生全体について何かを提示しているのだろうということです。

正直に言って、私はあの頃の少年の頃の自分に戻っている感じがするのです。あのヨシカズちゃんとは、その後会うことはなくなりましたが…。