距離が消えたとき

小学生の頃、図工の時間があまり得意ではありませんでした。決められた時間内に粘土でお面を作ったり、外に出て写生したりが面倒だったのです。

もちろんそういった制作過程を楽しめる人にとっては、他の教科よりも嬉しい時間なのでしょうけれど、私は逆でした。

画用紙に絵の具を塗っていく作業をしているとき、この画用紙を全部絵の具で塗って、白い部分を無くさなければと思って、うんざりしてたことを覚えています。

そのことが若干のトラウマになっていたのか、大人になってぼーっと外の景色を眺めているときに、ふと思い出すのです。

あれ、どの景色を見ても塗り損ねた白い部分がないなと。随分と熱心にこの景色を塗り込んでいる誰かがいるんだなあと。

もちろん馬鹿馬鹿しい考えなので、ほとんど真に受けることはないのですが、それでもどこかで感心しているのです。

さらにそのままじーっと眺めていると、そのうちに距離感が壊れてきて、全てが本当に絵のように見えてくるのです。

眼球を動かしてしまうと、元の状態に戻ってしまうのですが、しばらくまた動かさずにいると、景色は一枚の絵になるのです。もちろん距離はなし。

ただ眺める自分にとって、距離というのは意味がないのだと分かるのです。そして外側の世界から距離が消えたとき、全体性がやってくるのです。